平尾誠二さんは、ミスター・ラグビーと呼ばれた元日本代表のラグビー選手です。
日本代表監督、神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーなどを歴任し、元女優・沢近恵子さんと結婚したことで話題になりました。
しかし2016年に53歳という若さで病気のため亡くなっています。
今回は、そんな平尾誠二さんの実家について、以下の気になることを調査しました。
- 平尾誠二さんの実家はどこ?
- 平尾誠二さんの実家はどんな家?画像はある?
- 父親・母親はどんな人?
- 兄弟はいる?
- 実家の思い出エピソード
最後までご覧ください。
平尾誠二の実家はどこ?
平尾誠二さんの実家がある場所は、京都府京都市南区です。
京都市南区は鴨川と桂川に挟まれる地域で、平安時代から続く歴史的寺院である東寺があることで有名です。
家族構成は両親と平尾誠二さんの3人家族ですが、兄がいるという噂もあります。
平尾誠二さんは1985年大学卒業後に英国留学するまで、実家がある京都府京都市南区で過ごしました。
平尾誠二の実家はどんな家?画像はある?
平尾誠二さんの実家は公開されておらず、画像はありませんでした。
平尾誠二さんは京都市立陶化(とうか)中学校出身です。
陶化中学校は平成23年度に閉校し、平成24年から凌風(りょうふう)中学校に統合されました。
通学可能な距離から考えると、平尾誠二さんの実家は凌風中学校の近くにあったのではないでしょうか。
京都駅が近いね
平尾誠二の実家の父親は他界している?
平尾誠二さんの父親について調べましたが、名前や職業などは公表されていないようです。
もしかしたら一般人のため非公表なのかもしれません。
平尾誠二さんは2016年に他界しました。
亡くなる直前のエピソードを、平尾誠二さんの娘・早紀さんがインタビューで語っています。
その後、2種類の抗癌剤を併用。しかし4月末、吐血をして緊急入院してしまう。医師から「2~3日しかもたない」と告げられる状態で、平尾氏の母親が病院に駆けつけた。
引用元:週刊現代
そのほかのエピソードにも、平尾誠二さんの父親の話は一切出てきませんでした。
そのため平尾誠二さんの父親はすでに他界しているかもしれないと推測されています。
しかし平尾誠二さんの息子・昂大(こうた)さんが語っていたインタビューでは、平尾誠二さんが病に倒れ母親からいつ日本に帰ってくるかと聞かれた際「祖父か祖母が病気になったのではないか」と想像したと話しています。
すでに他界されていた場合は想像することもないはずなので、この時点では平尾誠二さんの父親は他界していない可能性も考えられます。
生きていたのだとしたら、きっと父親も平尾誠二さんの病気のことを心配していたんだろうね
平尾誠二の実家の母親の苦悩とは?
平尾誠二さんの母親は、信子さんといいます。
母・信子さんについて調べましたが、画像や職業などの情報はありませんでした。
母・信子さんは、息子思いで気丈な方です。
平尾誠二さんが入院して意識を失くした時、母・信子さんは病院に駆けつけて息子である平尾誠二さんに声をかけたそうです。
「あんた、どこへ行くんや? あの世か? あかん! あの世に逝くときは、わたしに知らせてから逝きなさい。そうしたら、わたしが先に逝って、三途の川で引き戻す。まだ死んだらあかん!」
引用元:週刊現代
この言葉をきっかけに、平尾誠二さんは容体が回復して退院したらしいよ。母・信子さんの想いが届いたのかな
しかし平尾誠二さんの容体は再び悪化し、入院となりました。
そのときに母・信子さんは平尾誠二さんに次のような言葉をかけたそうです。
息子に“あんたは親不孝やなあ”と怒ったんです。先に死ぬなんてという意味でね。そしたら息子は“その通りや”と笑うばかりでした
引用元:デイリー新潮
母親として、弱っていく息子の姿を見ていることがつらかったんだろうね
息子が母親である自分より先に他界するかもしれないことを想像すると、とても悲しい気持ちになりますね。
母・信子さんの苦悩は、計り知れません。
平尾誠二の実家の兄弟は?
平尾誠二さんの兄弟について調べましたが、情報が見つからなかったため、一人っ子かもしれません。
もしくは、一般人のため非公表なのかもしれませんね。
兄がいるという情報もありますが、正確なところはわかっていません。
前述の平尾誠二さんの娘・早紀さんのインタビューでは兄の話は全く出ていなかったことから、兄弟はいないという説が有力かもしれません。
平尾誠二の実家の思い出エピソード
平尾誠二さんの実家の思い出エピソードをご紹介します。
高校の進路について
平尾誠二さんは、京都市立伏見工業高等学校に進学しました。
平尾誠二さんは、最初はラグビーの名門・花園高等学校に進学することをほとんど決めていたといいます。
進路を変えたのは、当時京都市立伏見工高ラグビー部監督だった山口良治さんに熱心に誘われたからです。
プレーをみて惚れ込んだ山口良治さんは、平尾誠二さんの自宅を訪問して伏見工業高校ラグビー部に誘ったそうです。
その時、平尾誠二さんの父親・母親には拒絶されたと話しています。
平尾本人は、目をクリッと見開いて、私の日本代表時代の話を聞いてくれた。だけど、平尾のお父さん、お母さんは、けんもほろろやった。あの頃、京都のいい選手はみんな(府内きってのラグビー強豪校の)花園高に進学したから
引用元:読売新聞
しかし山口良治さんの熱意は、平尾誠二さんに届きました。
平尾誠二さんは花園高等学校ではなく、伏見工業高等学校に進学し、ラグビー部を全国大会優勝に導きました。
平尾誠二さんの入学願書を見た瞬間、チームが日本一になる構想が見えたんだって
まとめ
平尾誠二さんの実家について調査したところ、以下のことがわかりました。
- 平尾誠二さんの実家の場所は、京都府京都市南区
- 父親は、他界しているかどうか不明
- 母親の信子さんは、息子思いで気丈な人
- 兄弟はいるかどうか不明
- 実家の思い出エピソード
ラグビー界を牽引した平尾誠二さんの最期を、家族が支えていたことがわかりましたね。
改めて、平尾誠二さんのご冥福をお祈り申し上げます。