有森也実さんは、ドラマ「東京ラブストーリー」で注目を集めた女優です。
中学3年生の時に、ファッション雑誌「mc Sister」のモデルとして活躍し、1986年ミニシアター系映画のヒロインとして俳優デビューしました。
初めて出演したテレビCMは「タケダ漢方便秘薬」です。
今回は、そんな有森也実さんの実家について、以下の気になることを調査しました。
- 有森也実さんの実家はどこ?
- 有森也実さんの実家はどんな家?画像はある?
- 父親・母親はどんな人?
- 兄弟はいる?
- 実家のエピソード
最後までご覧ください。
有森也実の実家はどこ?
有森也実さんの実家がある場所は、神奈川県横浜市です。
横浜市は、神奈川県東部に位置する人口約377万人の都市です。
「横浜中華街」「横浜レンガ倉庫」「山下公園」などの観光スポットが多くあります。
家族構成は、両親、弟の4人家族です。
有森也実さんは、高校を卒業まで、実家がある横浜市で過ごしたと考えられます。
有森也実の実家はどんな家?画像はある?
有森也実さんの実家は、公開されておらず、画像はありませんでした。
しかし、父親が圧倒的に強い家庭で、母は黙ってついていくような人だったようです。
また有森也実さんは、5歳からクラシックバレエを習っていました。
母は学校で舞踊部に入っていたそうですが、時代的にも経済的にもバレエを習うことができなかったから、娘には習わせたかったのでしょう。発表会の『眠れる森の美女』では、私は花のワルツを踊り、母は貴族役として出演しました
引用元:女性セブン
クラシックバレエの月謝は高額みたい!
また父親は旅行会社を経営していましたが、有森也実さんが高校生の時に倒産しました。
有森也実さんが幼少期の時は、父親が会社経営のため、一般的な家庭よりは裕福だったと推測できます。
有森也実の実家の父親は佐賀県の宮司
有森也実さんの父親は、有森正行さんといいます。
父・正行さんは、実家の佐賀県鹿島市にある「松岡神社」の宮司でした。
「松岡神社」は、700年以上の歴史を持ち、土地の有力者が日本武尊(やまとたけるのみこと)を奉祀したことが始まりといわれています。
しかし2017年、肺がんのため80歳で他界されています。
有森也実さんの祖父は、日中戦争で瀕死の重傷を負い、農業ができなくなり、神職の資格を取り、「松岡神社」で働いていました。
長男である父親は、国学院大学を卒業後に神社で働き、大学で知り合った母親も一緒に2年間暮らしていました。
しかし、母方の祖母が倒れたため、家族の反対を押し切り、母親と横浜で暮らしはじめました。
勇気のいる決断だね
その後、横浜で経営していた旅行会社が倒産し、1人で佐賀に戻り、神社を継ぎました。
正行さんの仕事は思うようにいかなくなり、会社は倒産。1988年、正行さんは家族と離れ、ひとりで佐賀に戻って宮司になったのだった。
引用元:NEWSポストセブン
有森也実さんの母親は、娘の芸能活動を支えるため東京に残り、両親は別居生活を送ることになり、30年以上の最後まで続きました。
父親は、神社も家族も両方を大切に想い、離婚はせずに別居を続けたのかもしれませんね。
有森也実の実家の母親は華やかで服を作るのが得意
有森也実さんの母親は、有森久子さんといい、専業主婦でした。
しかし2015年に胃がんのため76歳で他界されています。
母・久子さんは、華やかな人で芸能界デビューの一歩手前までいったそうです。
母は芸能や舞踊に興味がある華やかな人。ミスコンで入賞して芸能界デビュー一歩手前までいったのですが、婚約中の父が猛烈に反対し、芸能界へのあこがれを胸に秘めたまま結婚したそうです。
引用元:東京新聞
また母親は、服を作るのが得意で、有森也実さんの服をほとんど作っていました。
私も既製品より、母の作る服が大好きでした。母は昔、ベース(米軍基地)に勤めていたので、日本で普通には手に入らないような色合いの布とか、すごくおしゃれなボタンとかを使って、外国の映画に出てくるようなお洋服を作ってくれて
引用元:女性自身
有森也実さんは、引っ込み思案でしたが、母の作った服を着ることで、小学校でも明るく過ごすことができたそうです。
お母さんが作った服は嬉しいね!
有森也実の実家の兄弟は弟が1人
有森也実さんの兄弟は弟がおりますが、情報は見つかりませんでした。
一般人のため非公表なのかもしれませんね。
有森也実さんの実家では、幼少期の夏休みに佐賀に行くのが恒例でした。
幼い頃は夏休みに1週間~10日、鹿島に行くのが恒例だった。親戚が集まり、蚊帳をつって眠ったり五右衛門風呂に入ったり、ファンタジーの世界のように楽しかったのを覚えている。
引用元:佐賀新聞
五右衛門風呂に入ってみたい!
また横浜では、毎週のように家族でサンドイッチを持って公園に遊びに行っていたそうです。
有森也実さんも弟も、色々な体験をして、楽しかったことと思います。
有森也実さんの実家のエピソード
有森也実さんの実家のエピソードを2つご紹介します。
佐賀で母親の葬儀
有森也実さんの母親の葬儀は、父親が宮司をしていた佐賀で行いました。
父親が、葬儀を佐賀で行うと頑として譲らなかったと明かしています。
父は、母の葬儀は「佐賀でやる」と言い出した。これほどまで母を、家族を放っておいた父に、有森は怒りを爆発させた。「そんな茶番をやっても意味がない!」ほとんど悲鳴に近い叫びを上げる娘に、父は、「そういうわけにはいかないんだ」とはっきり言い、頑として譲らなかった。
引用元:NEWSポストセブン
また遺影は、母親の30歳くらいの時の写真でした。
闘病中の母親は父親にあまり会いたがらず、父親はほとんど見舞いにも行かず、最期を看取りませんでした。
そんな父親は、妻としての有森也実さんの母親を大切にしていたようです。
父は『おれの知っている久子はこれだ』って言うんです。父は、家族のなかの母というより、妻としての母を大切にしていたのかなと思いました。母はおしゃれな人でしたから、最期に父に会いたがらなかったのも、いちばん幸せではつらつとした時期を、父の記憶にとどめてほしいと思っていたのかもしれないし、父もそうだったのかもしれない」
引用元:NEWSポストセブン
父親は、一緒に生活していた頃が一番幸せと感じていたのかもしれませんね。
ラブレター
有森也実さんは母親の遺品を整理したときに、両親の結婚前や別居中のラブレターをたくさん見つけたそうです。
消印を見ると、2日おきにやりとりをしていたことがわかり、こういう愛もあるんだな、って。私に隠れて、父が母に会いに来ていたこともあったようです。
引用元:NEWSポストセブン
お父さんは寂しかったのかも!
離れていても両親は、心でつながっていたのですね。
まとめ
有森也実さんの実家について調査したところ、以下のことがわかりました。
- 有森也実さんの実家の場所は、神奈川県横浜市
- 父親の正行さんは佐賀県の宮司
- 母親の久子さんは華やかで服を作るのが得意
- 兄弟は、弟1人
- 実家のエピソード
有森也実さんは、両親が離婚せず、別居していることを理解ができず、よく母親と言い合いをし、長い間つらい思いをしてきました。
しかしラブレターを見て、やっと両親の気持ちがわかり、深い絆で結ばれていたと納得したそうです。
美人でスタイルの良い有森也実さんをこれからも応援しています。