ジュディオングさんは、台湾出身の歌手・女優・版画家で、3歳の時に来日し1972年に帰化しました。
1979年「エーゲ海のテーマ~魅せられて」が大ヒットし、高い歌唱力と異国風な衣装が話題となりました。
25歳の時に木版画に魅せられ、2024年現在「神社仏閣・日本家屋・花」をテーマに木版画家として活躍しています。
今回は、そんなジュディオングさんの実家について、以下の気になることを調査しました。
- ジュディオングさんの実家はどこ?
- ジュディオングさんの実家はどんな家?画像はある?
- 父親・母親はどんな人?
- 兄弟はいる?
最後までご覧ください。
ジュディオングの実家はどこ?
ジュディオングさんの実家がある場所は、台湾の台北市(たいほく)です。
台北市は、台湾島の北部に位置する人口約264万人の都市で、台湾の三大都市(台北市、台中市、高雄市)の一つです。
台湾の一番の繁華街「西門町」は、台湾の渋谷といわれ、若者を中心に賑わっています。
家族構成は両親、兄の4人家族です。
ジュディオングさんは、生まれたのは台湾ですが、3歳から日本で過ごしています。
ジュディオングの実家はどんな家?画像はある?
ジュディオングさんの台湾や日本の実家は公開されておらず、画像はありませんでした。
ジュディオングさんは、3歳の時に母と兄、ジュディオングさんで来日しましが、父親は1年前に来日していました。
2歳で来日という話もあります
ジュディオングさんは、幼少期に習い事をしていました。
美しい姿勢のためにバレエを習い、滑舌が良くなるようにと合唱団に入団。さらに父が母に一目惚れしたのはピアノが上手だったから、ということから、ピアノ教室に通う(笑)、そんな少女時代を過ごしました。
引用元:anan
習い事をたくさんしていたので、お金持ちだったのかもしれませんね。
ジュディオングさんは、東京中華学校に通っていたため、東京に住んでいたと推測します。
しかし、2023年にジュディオングさんは、空き家になった実家を処分をしました。
亡くなった父が元気な頃は、両親も日本に家を持っていたが、思い切って処分をすることに。
引用元:毎日キレイ
思い出が詰まった実家を処分するのは、寂しく大変だったと思います。
日本の実家は無くなりましたが、台湾に母親や兄が居るので寂しくないですね。
ジュディオングの実家の父親は中国人で通信産業の父
ジュディオングさんの父親は、翁炳榮(ウェン・ビンロン)さんといいます。
父・翁炳榮さんは、自叙伝「私とラジオとテレビ:台湾海峡を挟んだ3か所でラジオとテレビのプロモーターを務めたウェン・ビンロンの回想録(日本語訳)」を出版しています。
ジュディオングさんの父親は、中国人で、中国広播公司(こうはこうし)ラジオを起ち上げ上げ局長として働いていました。
しかし、1952年日本に在住する米軍から頼まれて、来日しました。
日本に駐留する米軍のGHQから“中国語と英語ができる人間が欲しい”と請われたそうです。日本へ来てからは、GHQラジオで中国語放送のチーフとして番組をつくっていました。
引用元:サライ
しかし、2018年95歳で他界されていますが、94歳という話もあります。
またジュディオングさんの父親は、1969年に台湾に帰国し台湾CTV(地上波テレビ放送局)の重役でした。
常に人より一歩未来を見ている人でした。台湾にテレビメディア(台湾CTV)もつくり、技術提供していたNHKが白黒からカラーに移行することもあり、白黒テレビの中継車をNHKから譲り受けて台湾に持ち込み、連続ドラマを作りました。
引用元:東洋経済
日本、中国、台湾の3ヵ所で、ラジオとテレビ産業を築き上げてきた1人で、「通信産業の父」と呼ばれています。
父親はすごい人ですね!
ジュディオングの実家の母親は台湾人で日本語を話すことが出来る
ジュディオングさんの母親について調べましたが、名前や職業などは公表されていないようです。
母親の名前は和江さんという話もあります。
ジュディオングさんの母親は、台湾人で日本統治時代に育ったため、日本語が話すことが出来ました。
台湾は花の宝庫、先日行った時に「そのハイビスカスちょっとチョロまかしなさい」と私の髪に飾るよう促がす。そして自分にももう一本❗️茶目っ気たっぷりの母に「私を生んでくれてありがとう」と言ったら、「こんなもんで、すみませんねえ…」と言われました!ハハハハ pic.twitter.com/6j6NFI9Ayp
— ジュディ・オングJudyOngg (@JudyOngg) January 25, 2019
母親の実家は台湾の台南市1番の大地主みたい!
ジュディオングさんの母親は、芸能界入りを応援してくれました。
父は芸能界入りには大反対。でも、母はいつも娘の選択を大事にして、可能性を最大限に伸ばして上げようという人でしたからね。父を説得してくれたんです。
引用元:サライ
娘の選択を信じてくれる、優しいお母さんですね。
2024年10月現在、母親は97歳で台湾の兄と暮らしているそうです。
ジュディオングの実家の兄弟は建築家
ジュディオングさんの兄弟は兄がおり、翁祖模(マーク・オング)さんといいます。
翁祖模さんの職業は、建築家であることがわかっています。
台中の高鐵(新幹線)や高雄流行音楽センター海音館(※スペインの建築士との共同プロジェクト)をはじめ高雄湾のアーバンデザインも手掛けた建築家で、小さいころから良き協力者ですね。
引用元:東洋経済
【台湾イベント】
— 台湾旅行情報ガイド「台北ナビ」 (@taipeinavi) January 8, 2024
1/15~28に翁倩玉(ジュディ・オング)と兄・翁祖模(マーク・オング)による「藝境畫篇 翁倩玉版畫X翁祖模建築 聯展」が台北で開催!https://t.co/M4W8M5b4dW
ジュディさんの版画と高雄の新しいランドマーク「高雄流行音楽中心」などを手掛けたマークさんの超特別な展覧会です! pic.twitter.com/6pWyLGTNPB
お兄さんもすごい人!
ジュディオングさんは、兄と仲が良いですね。
まとめ
ジュディオングさんの実家について調査したところ、以下のことがわかりました。
- ジュディオングさんの日本の実家の場所は東京
- 父親の翁炳榮さんは、中国人で通信産業の父
- 母親は、台湾人で日本語を話すことが出来る
- 兄の翁祖模さんは、建築家
ジュディオングさんは、幼少期から色々な体験をし、大変なこともたくさんあったと思います。
優しい家族に支えられて、たくさんの困難を乗り越えてきたのですね。
日本と台湾で活躍し、家族を大切にするジュディオングさんをこれからも応援しています。