雅子さまは、1993年に当時皇太子だった天皇陛下とご結婚され皇族に入りました。
2001年12月に娘の愛子さまが誕生しました。
雅子さまは、ハーバード大学を卒業し、外務省で外交官として働いていた元キャリアウーマンです。
とても頭がよく、努力家だったそうです。
今回は、そんな雅子さまの実家について、以下の気になることを調査しました。
- 雅子さまの実家はどこ?
- 雅子さまの実家はどんな家?画像はある?
- 父親・母親はどんな人?
- 兄弟はいる?
最後までご覧ください。
雅子さまの実家はどこ?
雅子さまの実家がある場所は、東京都目黒区です。
目黒区は東京都23区の南西部に位置する特別区で、人口約28万人の都市です。
家族構成は両親、双子の妹の5人家族です。
幼少期の雅子さまは、父親の仕事の都合でモスクワ、ジュネーブ、ニューヨークなどで海外生活をしていました。
その後、外交官として働くまで、実家がある目黒区で過ごしました。
大変なこともたくさんあったと思いますが、出会いもたくさんあり、その経験は人生の宝物ですね。
雅子さまの実家はどんな家?画像はある?
雅子さまの実家は、皇太子と婚約された頃、皇室会議に出発される時の報道で公開されています。
コンクリート打ちっぱなしが特徴的な建物で「コンクリ御殿」と呼ばれています。
目黒区という場所は、芸能人が多く住む高級住宅街ですが、ひと際目立つ豪邸です。
かなりのお金持ちですね。
都心にも近くおしゃれな街として、評価の高い場所です。
閑静な住宅街が広がり、
緑が広がる公園や神社仏閣も多くあります
雅子さまが注目の人となった時には、見物人もいて大変だったそうです。
現在は両親も高齢になったため、雅子さまの妹が暮らす都心のマンションに引っ越しされ、今は誰も住んでいないようです。
「つい先日、小和田さんご夫妻はお引っ越しされましたよ。雅子さまの妹さんが暮らす都心のマンションの1室が空いたタイミングで、お住まいを移すことになったようです」
引用元:週刊女性PRIME
雅子さまの実家の父親は外交官
雅子さまの父親は、小和田 恆(おわだ ひさし)さんといいます。
父・ 恆さんは、外交官、国際法学者です。
1993年に雅子さまが結婚したのを機に、外務省を退官し、外務省顧問に就任しました。
「女性の幸せは結婚だけでなく、一生続けられる仕事を持つべきだ」というのが、小和田家の教育方針でした。
父親は特に「職業は何でも良いけれど、社会に貢献できるような人生であって欲しい」という思いが強かったそうです。
雅子さまは、そんな父親の思いをしっかりと受け止め、父のような外交官を目標にしていたのかもしれませんね。
雅子さまの実家の母親は会長の娘
雅子さまの母親は優美子さんといいます。
母・優美子さんは、専業主婦です。
結婚前はエールフランス極東局秘書官、日本ユニセフ協会評議員をしていました。
チッソ会社会長、江頭豊さんの長女です。
チッソ会社は、水俣病で知る人も多いはず
母親の実家は、かなりのお金持ちのようですね。
母親は几帳面な性格で、部屋はいつも整理されていて、家具や食器などの置き方にもこだわりがあったそうです。
教育方針は「テレビは1日に1時間以上は観ない」「塾に行かない、家庭教師もつかない」で、雅子さまは復習と宿題だけで学生時代を過ごしました。
雅子さまは、もしかしたら厳しく育てられたのかもしれませんね。
しかし、そんな両親の教育方針が雅子さまの支えだったのかもしれません。
雅子さまは、両親の思いをしっかりと受け止め、たくさん努力したのだと思います。
雅子さまの実家の兄弟は双子の妹
雅子さまの兄弟は3歳年下の双子の妹がおり、池田礼子さんと渋谷節子さんといいます。
双子の姉の池田礼子さんの職業は国際公務員であることがわかっています。
礼子さんは、国際弁護士の池田祐久(いけだまさひと)さんと結婚し、2児の母です。
交際期間は10年以上みたい!
双子の妹の節子さんの職業は文化人類学者、翻訳家、福知山公立大学教授であることがわかっています。
節子さんは、医師の渋谷健司さんと結婚しましたが、2017年に離婚しています。
子供はいなかったようです
礼子さんも節子さんも、雅子さまに似て綺麗な方です。
色々な国で過ごした経験が、職業にも影響していますね。
雅子さまは、外で遊ぶことが好きだったようですが、双子の妹は、おままごと遊びや着せ替え人形が好きだったそうです。
雅子さまは、妹たちにとって自慢のお姉さんだったかもしれませんね。
まとめ
雅子さまの実家について調査したところ、以下のことがわかりました。
- 雅子さまの実家の場所は、東京都目黒区
- 父親の恆さんは、元外交官
- 母親の優美子さんは、チッソ会社会長の娘
- 双子の妹の礼子さんは国際公務員、節子さんは大学教授
雅子さまは、一時期体調を崩し、休養されていました。
今では元気そうな雅子さまを見ることができて、とても嬉しいです。
外交官から皇室へと大変なこともたくさんあったと思います。
これからも皇后雅子さまの笑顔をたくさん見たいですね。